思い出を笑う-イタリアの旅(1995.9.19-10.15)

10/1:リミニ-ラヴェンナ-フェラーラ

早起きして6:55の電車に乗ろうとしたが、日曜日のため運休。8:20まで待つはめに。駅のバールでファンタオレンジを飲む。近くにミルクイチゴ、ミルクチョコ、ミルクナッツなどの魅力的なリキュールが置いてある。風邪をひいているのでやめておくことにする。しかし次にこれを見つけたら絶対飲んでやるぞー!

 結局この旅が終わるまで、このおいしそう(に見えた)お酒に二度と出会うことはなかった。旅の途中で「これ!」と思ったものは、多少体調が悪かろうがなんだろうがやっておくべきなのかも。

ラヴェンナに到着し、荷物を預けて、身軽になって市内観光へ。ローマ帝国の首都になったこともあるラヴェンナには、ビザンチン美術の華、モザイクが市内のいたるところに見られる。まずは高校の歴史の教科書でもお馴染み、ユスティニアヌス帝と、テオドラ妃のモザイクのある、サン・ヴィターレ教会へ。同教会の敷地内には、皇帝の妹であるガッラ・プラチーディアの廟がある。とても小さな十字型の建物で、内部には青を基調としたモザイクがぎっしりとつまっている。団体客が入ってきて、身動きがとれずしばし足止め。団体客達は、ガイドの説明にあわせて、いっせいに向きを体操よろしく変えるのでみていて笑えた。

ユスティニアヌス帝と宮廷人のモザイク

ラヴェンナの主な見所には、記名帳を置いているところが多い。歴史好きのOちゃんはきっとラヴェンナに来ているだろうから、名前を書いたりしてるんじゃないかとサインを探してみるが、どうもない。しかし私はしっかりと書き込みをしたのだった。

 海外の美術館や有名なカフェにおいてあるゲストブック。最近ではよほどでないと書きこんだりはしないのだが、昔は見つける度に、嬉しがって感想やら、何やらいろいろ書き込んでいたなぁ。しかしあのゲストブックっていっぱいになった後は何かに使われたりするのだろうか?

26人の殉教者のモザイク

ラヴェンナ観光を終えた後は、フェラーラへと向かう。駅から電話をかけてホテルを予約。英語が通じないのでなんちゃってイタリア語でどうにか予約をする。イタリア滞在も約2週間を過ぎて簡単な用ならイタリア語でもなんとかなるようになってきた。なんかちょっと嬉しい。

ホテルの部屋で鍵でとらぶる。ドアが開かないのだ。仕方なくフロントに再び戻り、おじさんについてきてもらう。おじさんは、私の肩をポンポンッと叩き、親切に鍵の開け方をレクチャーしてくれる。一息ついてホテルを出ようとすると、おじさんは、「よく歩いて、よく街を見て来るんだよー」と言ってドアまで見送ってくれた。よいホテルに来たなぁといい気分になる。

 イタリア人は言葉が通じない日本人にもとっても親切だ。列車内で出会う人、ホテルのおじさん、そんなちょっとした親切が旅行中はとてもありがたい。

夜明けをあらわすエステンセ城のフレスコ画

フェラーラは、エステ家によって13世紀から16世紀の間統治された町だ。ルクレツィア=ボルジアの墓もあり見逃すことが出来ない。エステ家の庇護下に美術・芸術の華ひらいたフェラーラだが、町自体はそう大きくなく、エステ家の居城であったエステンセ城も、ドゥオーモもこじんまりとしていて、ミニチュアのように思えたりもする。小づくりで、上品な街、そういう印象を与える街だ。

『今日のご飯』

一人旅は食事が貧しくなる。特にイタリアみたいな国では。ラヴェンナ駅のメンザで、豚のソテー、トマトとクレソンとチーズのサラダ、ヨーグルト、ファンタの食事をとる。これで14,100リラ(≒800円)メンザなのにあまり安くない。うー、節約って難しい。

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