ピエモンテ美食紀行:イタリア
(2004.10.7-10.14)

カンティーナへ

ワイナリーの案内には我々3人のためだけに専属のガイドが一人つく。彼の説明は、非常に分かりやすい英語で行われ、また詳細で興味深かったので、下記に記す。(興味のない方は読みとばしてー)

広大なぶどう畑

まずは白トリュフが高級になるまでのお話。中世には「栄養価のない価値のないもの」ということで誰も見向きもしなかったらしい。それをアルバで店を経営していた男性が、世界の有名人、例えばマリリン・モンローや、はたまた昭和天皇まで、に白トリュフをプレゼントし、「これはあのマリリンモンローも大好きな白い珍品きのこ」というキャッチフレーズとともに「白トリュフ=おいしい=高価」という図式を世界の消費者にうえこんだのだと。

そうして、白トリュフはいまや世界のグルメが賛嘆し、我々のように日本からわざわざトリュフ祭りのためにやってくる旅行者までも作り出しちゃったんだから絶大な効果ですよな。アルバの救世主ですわ、その男性。

んで、バローロ。バローロは、古代ローマ時代には既にその名を知られていたワインであった。有名人にワインを送ることによって、「○○御用達」という宣伝文句を獲得したんだそうな。この手段は白トリュフと同じやね。

1階には昔ながらの大樽がずらりと並ぶ

フォンターナフレッダ社の由来。前述のヴィットリオ・エマヌエーレ2世の愛人ローザが、王からこの館とあたり一帯の葡萄畑をもらったのがそもそもの始まり。王との間に設けた息子エマヌエル・グエッレッリがワイン事業に乗り出したのだけどその息子バストーネの代に事業に失敗。破産した彼から事業を譲り受けたのが世界最古の銀行、シエナ銀行(モンテ・ディ・パスキ・ディ・シエナ)でありこちらが今もフォンターナフレッダ社の親会社。大銀行が、ワイン事業に投資しちゃうのがイタリアらしくてお茶目よね。でも大企業らしく、当初は生産量にこだわって、安かろう悪かろうみたいな大量生産品をどんどこ作っておったらしい。その方針を近年転換して、今は質にこだわったおいしいワインを作るようになり、トレビキを獲得するまでに至ったってこと。もともと王から下賜された葡萄畑なんだから、日当たりなどの立地条件は悪いはずはないし、きっとこれからもっともっとよくなるんではないかな?

樽の前には中のワインのプロフィールが書かれた黒板が置かれている

という予習もすんだところで、ワイナリー見学。こちらは、作っている工場の中まで見学させてもらえる。まずは巨大な樽がずらりとならぶ保存庫に。外から1歩足を踏み入れると、ワインのいい香りが立ち込めている。1階で使用されている巨大な樽はスロベニアの木材を使いベネト州の職人が2人がかりで1年かかるというシロモノ。バローロ用としては80年使用できるらしい。80年もたつとバローロ用に使うには樽のタンニン量が足りなくなるらしいので、バルベーラなどの他のワイン用の樽としてその後20-30年は使うんだそうな。長持ちですねー。化学物質を一切使わないため、樽の洗浄は人が樽の中に入って水を使って行うらしい!!!これには目の前にある直径30-40cmほどの小さな穴を見て一同びっくり。

ここにいるだけでいい香りに包まれる

地下のフロアーには、新しいフランス産の小ぶりの樽(スロベニアの木材を使った巨大な樽は高価な上に内戦や樽づくり職人の問題もあって今では買えないらしい)に入れられたバルベーラなどのワインの貯蔵庫、ならびに社名の由来となっている泉(フォンターナ=泉、フレッダ=冷たい)がある。これをみてお待ち兼ねのテイスティングタイム。まだまだ固さの残る若いバローロをいただいて見学タイムは終了。何もかわなくていいから自由にご覧下さいね、と言われて訪れたワイン売り場で、せっかくだからとバローロを1本(Barolo Lazzarito Vigna La Delizia)と、フォンターナフレッダの社名入りソムリエナイフを購入。お土産売り場にはソムリエナイフもそうだが、カンティーナのポストカードや、きれいな木箱に入れられたワイングラスとワインのセットがあったりと、大企業らしい豊富な品揃えがされていた。

こちらがテイスティングルーム

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