カンパーニャで遺跡とドルチェ食べ歩き:イタリア(2003.10.16-22)

ギリシア都市 パエストゥムその1

今日は、早起きしてギリシア神殿の街、パエストゥム(Paestum)に向かう。ガリバルディ広場からちょっと入ったところにあるアッタナシオ(R.M.Attanasio)で朝食。ほくほくの焼きたてスフォリアテッラはなかなかの美味。電車に乗って南へ向かうとお天気はあいにくの雨模様。こういう時は晴れるように念じるしかありませぬ。そのかいあってか、パエストゥム駅に到着する頃にはなんとか雨もあがり、薄日もさすぐらいに天気は回復。(さすが私、と自画自賛)駅前から西に伸びる一本道を歩いて考古学地区に到着。

中にはポロポロのリコッタチーズの甘い餡、外の生地はパリパリ!

-パエストゥムの歴史-
紀元前600年頃、ギリシア人によって築かれたのが、ポセイドニア(現在のパエストゥム)この頃南イタリア・シチリアには、数々のギリシアの植民都市が築かれていたわけだが、ポセイドニアの街は、同じく南イタリアのカラブーリア州にあるギリシア系都市のシバリ(快楽政治で有名)を母市として作られたわけだから、まぁ孫ギリシア都市みたいなものといえるかもしれない。

紀元前400年ごろルカニア人に征服され、カイストンと呼ばれるようになり、さらに273年に古代ローマの植民市となり、パエストゥムという現在の呼び名にあらためられた。紀元前73年におこったスパルタクスの乱の後、衰退を初めたが、その速度はまだゆるやかなものだった。しかし追い討ちをかけるかのように、西ローマ帝国の滅亡、それに続くゴート族やロンバルディア族の侵入によってパエストゥムの凋落は決定的なものになった。運の悪いことにこのころ地盤沈下も起こり、病気(マラリア)が蔓延、衰退を早めたといえるかもしれない。

アテネ神殿

というのが、簡単なこの街の歴史。でもまぁ、特に歴史上重要な都市だったというわけでもないから、そんなうんちく話より、いま目の前に残る素晴らしい神殿群を楽しんじゃいましょう!まずは、北の入り口から(考古学ゾーンへの出入り口は、Via Magna Grecia通りの北と南に2箇所、それから城壁の南に1箇所の計3箇所あります。チケットを販売しているのは、Via Magna Grecia通りの北口だけですからそこからまわるのが一般的です。)

フォロにて

入り口入って右奥にあるのが、アテネ神殿です。もともとは、ローマの豊穣の女神であるケレス(ギリシアのデメテル)を祀った神殿であると考えられていたそうです。南にある二つの神殿に比べるとこぶりでありますが、その分端正な印象。特にオリーブの木越しにその姿を見ると、上品なお嬢さんって感じなのですねー。パエストゥムの3つの神殿の中では一番のお気に入りです。

アテネ神殿から聖なる道を通って南へと向かいましょう。敷地内に生えている草に、ハーブが混じっているのでしょう、なんとも芳しい香りが足元から風にのってただよってきます。うーむ、いいですねー。五感で感じる遺跡だなんて素敵です。

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